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サプライズな看護師 求人

氷が入らない様にしながらグラスに注ぐことも意味する。シェークでは濁ってしまう場合等に使う。

ミキシンググラスに材料を入れ、バー・スプーンでかき混ぜた後、ストレーナーで

ステア(stir)とは、軽くかき混ぜることである。転じて、カクテルを作る手法の一つで、


 豪華飛行船「ヒンデンブルク」 「ヒンデンブルク」は「グラーフーツェッペリン」をさらに上回る豪華飛行船である。
全長二四五メートル、直径四一メートル、気嚢の水素ガス容量二〇万立方メートル以上、乗員二五~四〇人(他にスチュワードー○~一五人)、乗客五〇人(最大七五人)の偉容を誇った。
 飛行船のキャビンは、巨大な気嚢の下部に設けられたゴンドラにある。
乗客は内蔵(引き込み)式の階段(エアステア)を使って、ゴンドラに搭乗する。
「ヒンデンブルク」の場合、ゴンドラは二階建て構造になっていて、地上から階段を上がるとまずBデッキに入る。
そこから左と右に一つずつ設けられた階段を登るとAデッキだ。
 Bデッキから見ていこう。
階段を登ると左舷に、シャワールーム、乗員用食堂、調理室(電気使用)、上級乗員用食堂が並ぶ。
右舷側は手前から、トイレット、洗面所、バー、スモーキングルーム(喫煙室)だ。
 素晴らしい特徴のひとつが、この幅三・八メートル、奥行き四・七メートルのスモーキングルーム。
「グラーフーツェッペリン」では、水素ガスに引火する恐れがあるため絶対禁煙だったが、「ヒンデンブルク」では、与圧とエアロックによって密閉し、水素ガスが入り込まないようになっていたから煙草を吸うことができたのだ。
 喫煙者は、鎖でつながれた備え付けの電気ライターで火をつける。
葉巻やパイプ(旅客機では昔から禁止)を愉しむスモーカーには、スチュワードがマッチで火をつけてくれた。
これはサービスというより安全のため。
乗客は自分でマッチを擦ったり、マッチや喫煙具を持つたまま、この部屋を出ることが許されなかったのだ。
 スチュワードは、隣接するバーで飲み物のサービスも行った。
スモーキングルームとバーは、明け方までオープンしていたという。
スモーキングルームの壁には、モンゴルフィエ兄弟によって発明された気球以来の、気球と飛行船の歴史を綴る絵が描かれていた。
またこの部屋には、外側から手前に傾斜した窓が付いていたから、乗客たちはモーゼルワインのグラスを傾け、紫煙をくゆらせながら、地上を眺めるという至福の時間を愉しめたのである。
 Aデッキには、中央に乗客用の個室が二五室並んでいた。
個室には、ベッド、洗面台(給水・給湯)、暖房が備えてあり、当時の一流ホテルのように、就寝前に部屋の外に靴を出しておくと、朝までにスチュワードがピカピカに磨いてくれた。
もちろんメータベッドもしてくれた。
この個室でくつろぐのもよかったが、何といっても「ヒンデンブルク」の魅力はやはりパブリックースペース。
午後一一時まで使えたから、乗客はここで思い思いの時間を過ごしたのである。
 個室の列の左舷側か、幅四・五メートル、奥行き一五メートルのダイニングルーム。
席数は三四、テーブルと椅子はアルミパイプ製で、指一本で持ち上げられるほど軽かったという。
乗客たちはここで、三ツ星レストラン並みの豪華な食事と、ドイツやフランスのソムリエが厳選したワインを、特製の金色と青色で彩られた陶磁器、銀器、クリスタルグラスで愉しんだのである。
ダイニングルームの壁には、「グラーフーツェッペリン」の南米飛行を描いた壁画が飾られていた。
「ヒンデンブルク」号のプロムナードデッキ(左側)とダイニングルーム ダイニングルームの左側は、そのまま長さ一五メートルのプロムナードデッキ(遊歩デッキ)に続いていた。
 「ヒンデンブルク」最大の呼び物がこれだ。
プロムナードには、外側に傾斜した展望窓がずっと続いており、ところどころにカウチが置かれている。
乗客はここを行き来しながら、地上の雄大な眺望を愉しんだのだ。
この展望窓は、飛行中しばしば開け放たれたという。
プロムナードデッキは、右舷側にも設けられていた。
 乗客個室の右舷側には、ゆったりしたラウンジと読書室が配置されていた。
「グラーフーツェッペリン」では、ラウンジはダイニングルームと兼用だったが、「ヒンデンブルク」では、奥行きI〇・四メートルもの広さのラウンジが別に設けられていたのである。
ここには、テーブルと椅子が備えてあり、さらにアルミ製で重さわずか一八〇キロ、豚革で仕上げられた小型グランドピアノまで置いてあった。
ピアノがある奥の壁には、ヒトラー総統の肖像画が掲げられていたという。
また、ラウンジの壁には大きな世界地図が掛けられていた。
 その奥へ進んでみよう。
読書室では書き物ができ、郵便室に通じるシュートも備えられていたので、圧搾空気によって手紙を送ることができた。
ちなみに、読書室の壁紙は、郵便の歴史を描いたもの。
ラウンジ、読書室ともに右舷側は開放型で、そのままもう一つのプロムナードデッキに続いていた。
 「ヒンデンブルク」の悲劇 このような、まさに”夢の空の旅”を実現した「ヒンデンブルク」は、ほぼ全便満席の盛況で運航も順調だったが、一九三七年五月六日、突然の悲劇に襲われ、その生涯を閉じることになる。
 五月三日夜、アメリカ行きの「ヒンデンブルク」は、フランクフルトの新空港を出発、六日午後にはニューヨーク上空に達し、午後七時過ぎにレイクハーストヘの着陸態勢に入った。
この年の第一便たったこともあって、乗客の家族や友人はもちろんのこと、たくさんの新聞記者やカメラマンが、レイクハーストで到着を待っていた。
ラジオの実況中継も行われ、ニュース映画のカメラも回っていた。
 ところが、午後七時二五分、「ヒンデンブルク」は高度二三メートルで一旦停止、そのとき突然、ガスの気嚢の後部から炎が上がり、大爆発が起こったのである。
それからわずかI「ヒンデンブルク」号の最期(1937年5月6日)分ほどで、巨大な豪華飛行船は地上で炎上する残骸に姿を変える。
搭乗の九七人のうち六二人は奇跡的に助かったものの、乗客一三人、乗員二二人、地上の一人が犠牲になった。
 事故原因は、政治的な破壊活動(テロ)とする説、漏れた水素ガスに何らかの理由で引火したとする説が有力だが、現在に至るまで解明はされていない。
不燃性のヘリウムが使われていれば、「ヒンデンブルク」の悲劇は避けられたかも知れない。
もちろん当初の計画では、ヘリウムガスを使用することになっていたのだが、当時世界で唯一のヘリウム生産国だったアメリカが、ドイツに対して禁輸政策をとったため、水素ガスを使わざるを得なかったのだ。
 「ヒンデンブルク」は、飛行中の騒音や振動が皆無に近く、揺れもほとんどなく、その乗り心地は、当時の未成熟な旅客機がとうてい太刀打ちできるものではなかった。
これで安全なヘリウムガスが使えれば「完全無欠の飛行船」とまで言われた。
しかし、「ヒンデンブルク」の悲劇的な最期によって、空の豪華客船時代の第一章は幕を閉じたのである。



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